岩本裕子研究室

PROFESSOR HIROKO IWAMOTO'S OFFICE

【#19】「ウィル・スミス平手打ち事件」の顛末・・・

Posted on 8月 18, 2022

第94回アカデミー賞授賞式が、アメリカ西部時間3月27日(日)夜(日本時間28日朝)にハリウッドから生中継された。コロナ禍を経て、2年ぶりに従来のように劇場に満員の観客を入れた状態で開催され、映画ファンには期待も多かったはずである。日本映画「ドライブ・マイ・カー」が最優秀国際長編映画賞を受賞したことで、日本には朗報となった。

ところが「事件」は、長編ドキュメンタリー賞の発表時に起きた。ちなみに、「事件」のあとに発表された最優秀長編ドキュメンタリー賞受賞作品は、『サマー・オブ・ソウル (あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』(原題:Summer of Soul (…Or, When the Revolution Could Not Be Televised))で、「岩本裕子研究室映画コラム#18」で紹介した通りである。

その「事件」は、長編ドキュメンタリー賞の発表者だった黒人コメディアン、クリス・ロックの発言がきっかけで起きた。アカデミー賞授賞式での台詞には台本があり、発表者たちは皆、その台本通り読み上げるはずなのに、クリス・ロックは「アドリブ」で発言したのだろうか・・・。事件直後に、「台本にあったのなら、その台本が問題だ」と日本の評論家は発言していたが、その通りである。

その発言とは、ウィル・スミスの妻ジェイダ・ピンケット・スミスに向かって「GIジェーンの続編が楽しみだ」と笑顔で言ったことだった。脱毛症を公表していたジェイダは、頭を丸刈りにしていて、それが映画『GIジェーン』を連想させたためだろうが、ジェイダはあからさまに不機嫌な顔を夫ウィルに向けていた。

その直後、壇上に上がったウィルは、クリル・ロックに平手打ちしたのだった。この直後、放送は一時中断される騒ぎとなった。ジェイダの髪型を云々したクリス・ロックは、彼女が脱毛症という病を患っていることを知らなかったらしいが、ロック自身が黒人女性と悩み多き地毛との関係を追ったドキュメンタリー『グッド・ヘアー』(Good Hair:2009年)の制作者だったのだから、もっと心配りできるはずだろうに・・・。

このあと、主演男優賞が発表された。黒人女性テニス選手のウィリアムズ姉妹(ビーナスとセリーナ)の父親、リチャード役をして、ウィル・スミスは最優秀主演男優賞を受賞した。原題は King Richard、邦題は『ドリームプラン』で、こんな「事件」がなければ、黒人男優が最優秀主演男優賞を受賞したことを素直に喜べたはずである。

黒人男優初の最優秀主演男優賞(『野のゆり』1964年)を受賞したシドニー・ポワチエの訃報が、年明け1月に伝えられた。ウィル・スミスの受賞スピーチにはこの大先輩への謝辞を口にしてほしかったのに・・・。残念だらけのアカデミー賞授賞式となった。

この「事件」は、日本の報道番組で面白可笑しく報道されたためか、ふだんはニュースを見ない学生も皆知っていると反応した。ただ、「平手打ち」場面をすべて見たことがある学生は少なくて、現代社会学科新設科目「エスニシティ論」では、一コマつぶすほどのテーマとなった。

受講生には、報道自体と現場のズレを実感させることができた。つまり、現場という「一次史料」と、報道という「二次史料」には微妙なズレがあり、そのズレを確認して、受講生自らの解釈(報道に惑わされることなく)をするよう促すことができたのは幸いだった

日本での報道ではなく、米国一級紙『ニューヨーク・タイムズ』での報道を例にとって、考えてみたい。「ジェイダ・ピンケット・スミスは〈冗談を笑って受け流す〉必要はない。そう、あなたも」と、題されたエッセイを『ニューヨーク・タイムズ』に寄稿したのは、ハイチ系アメリカ黒人女性作家ロクサーヌ・ゲイだった。

事件が起きた二日後の3月29日(火)の朝刊に掲載され、この寄稿記事を邦訳して紹介したのは、岩波書店月刊誌『世界』6月号だった。『世界』の新聞広告見出しには「ウィル・スミス平手打ち事件」とあった。

同誌6月号での特集は「核軍縮というリアリティ」という、いつもながら硬派なテーマで、私の尊敬する故緒方貞子元国連難民高等弁務官事務所長の愛弟子、中満泉国連事務次長が寄稿していたので、広告を見た当初「核軍縮の必要と必然―困難な道のりをどう進むか」の彼女の投稿に注目していた。そのそばに出ていたのが、「ウィル・スミス~」だった。

ロクサーヌ・ゲイによるエッセイでは、ウィル・スミスの自伝を引用して、幼少時にDVが止まなかった父親から母親を守れなかった罪悪感からの行為だったと解釈して、「黒人女性が公に擁護された、稀に見る瞬間」とも表現した。加えて、「誰からも擁護されることなく、信じ難いほど打たれ強くなることを強制された例」をゲイは紹介した。

合衆国史上初の黒人女性最高裁判事候補ケタンジ・ジャクソンである。ケタンジは、連邦最高裁判事承認公聴会で受けた「ありとあらゆる侮辱、人種差別、ミソロジーに満ちた馬鹿げた質問の数々」に耐えたのだった。Asahi Weekly でも、「黒人女性が米社会で成功しようとするときに遭遇する壁」と表現し、南部(テキサス、サウス・カロライナ、ミズーリ)出身の共和党上院議員の氏名をあげて、彼らの執拗さを批判していた。

「ジェイダ・ピンケット・スミスは〈冗談を笑って受け流す〉必要はない」という言葉は、打たれ弱いすべての人たちへのロクサーヌ・ゲイからの「応援」だったが、ほぼ同時期に起こったケタンジに向けた公聴会の様子について、こう表現した。「多くの黒人女性にとって、それは見るに堪えない光景(スペクタクル)だった。私たち黒人女性は、公私問わず様々な場面で同じように標的とされ、問いただされ、侮辱されることがどんなに辛いことか身をもって知っているから。ただじっと耐えるしかない苦しみを知っているから。公聴会を無事に乗り越える唯一の道は、ジャクソン判事が落ち着いて、ストイックに、図太く構えるだけだと、私たちは理解していた」と。

ジェイダ・ピンケット・スミスの「苦痛」も、ジャクソン判事の「苦痛」も、1619年8月(今から603年前!)に初めてジェームズタウンに運ばれたアフリカ人20人のうち、イザベラたち3人のアフリカ黒人女性を「祖母たち」とする奴隷の子孫であるアメリカ黒人女性たちが、603年間味わってきた「苦痛」につながった。

笑って受け流さず、怒りを表現することが許される現在、なのだろうか・・・。

ジェイダの知性に惚れ込んで結婚したと語ったウィル・スミスは、元々ラッパーとしてデビューしたのだが、ほとんどの学生たちはその事実を知らない。今回の『ドリームプラン』同様、ハリウッド映画スターとしか思っていないようである。

グラミー賞では、何度も最優秀ラップ・ソロ・アーティスト賞(1991年から2011年にかけて、デュオやグループによる最優秀ラップ・パフォーマンスに対し「最優秀ラップ・ソロパフォーマンス賞」が授与)を受賞していた。

1998年の第40回グラミー賞授賞式では、開幕と同時にこの年大ヒットした映画『メン・イン・ブラック』テーマ曲の歌唱披露がウィル・スミスによってなされ、そのまま最優秀ラップ・ソロ・アーティスト賞が発表され、受賞したのだった。

その受賞スピーチで、金色の蓄音機を表現したトロフィーを掲げながら、「二人の先駆者(two prophets) 2パックとビギーに捧げる」と発言した。1990年代のアメリカ・ラップ界を代表する東西二人の「雄」、東海岸を代表したノトーリアス・B.I.G.と、西海岸の代表2パックは、いずれもラッパー間抗争の犠牲になって射殺されたと報道された。ウィル・スミスはこの亡くなった二人を、「先駆者」と呼び讃えたのだった。

迷宮入り(コールドケース)したとされる、この二人の射殺犯人を追い続けた実在するロサンゼルス市警を描いた映画『L.A.コールドケース』は、記念すべき映画コラム#20の題材としよう。夏期休暇に入ったばかり、77回目の「終戦記念日」前日に、3本まとめて書き上げたので、続けて、次項もご笑覧あれ!