岩本裕子研究室

PROFESSOR HIROKO IWAMOTO'S OFFICE

【#13】『デトロイト』と『スリー・ビルボード』

Posted on 3月 2, 2018

この連載コラム初回(2016年6月)のきっかけとなった映画「オデッセイ」を観た時と同じような、とても温かい気持ちで劇場を出られたので、ぜひ紹介したいと思ったのが、「スリー・ビルボード」でした。もう1本の「デトロイト」は、黒人史研究者としての仕事で観に行って、思うことは様々にありながら、公開中には書かなければ、と思っていたので、この2本を紹介することにしました。

まず、「オデッセイ」同様、ぜひ劇場に足を運んでほしい映画「スリー・ビルボード」のあらすじを、ネットに頼ってそのままコピペしてみましょう。

「最愛の娘が殺されて既に数ヶ月が経過したにもかかわらず、犯人が逮捕される気配がないことに憤るミルドレッドは、無能な警察に抗議するために町はずれに3枚の巨大な広告板を設置する。それを不快に思う警察とミルドレッドの間の諍いが、事態を予想外の方向に向かわせる」だそうです。

原題は、Three Billboards Outside Ebbing, Missouri です。アメリカ合衆国では、町の名前の後に必ず州名を付けますが、この原題にあるように、ミズーリ州エビングという架空の田舎町が舞台になっています。ロケ地は、ノースカロライナ州西部、ジャクソン郡の郡庁所在地シルバ(Sylva, North Carolina)だそうです。森の意味があるシルバ(cf.シルバニア:Sylvania、「シルバニア・ファミリー」という森の動物が主人公のおもちゃがありました)の名の通り、山間にある田舎町が舞台となっています。人口のほとんどが白人という町で、事件は起きました。

ミズーリ州と言えば、「悪名高き」と形容しなければならない大変な事件があった州です。2014年8月9日に、ミズーリ州ファーガソン市で起こった白人警察官による黒人青年射殺事件(射殺しただけでなく、そのまま路上に放置)、「ファーガソン事件」があったような州です。21世紀の現在ばかりか、すでに19世紀において問題のある州でした。何しろ、南北戦争に至る道のほぼ出発点とされる「ミズーリ妥協」の舞台ですから。

1820年に米国議会において、奴隷制擁護と反奴隷制の党派間で成立した「妥協」です。ミシシッピ川以西で州ができていく過程で、北緯36度30分以北では奴隷制を禁じたのですが、以北にあるミズーリ州を例外としたのです。この妥協以来、奴隷制度の是非を巡って、合衆国が大きく揺れ始めるのでした。つまりミズーリ州は奴隷州、南北戦争では北軍でしたが。

映画の話に戻りましょう。あらすじにあった「広告版」とはBillboardのことで、ここにミルドレッドは、”RAPED WHILE DYING” (レイプされて殺された)”AND STILL NO ARRESTS?”(まだ捕まらないの?)”HOW COME, CHIEF WILLOUGHBY?”(ウィロビー署長、どうして?)という3本のメッセージを出すのでした。

この看板で直接非難された地元警察の署長ウィロビー、さらにその部下の警察官ディクソン、この二人の警官と主人公ミルドレッドを中心に話が展開します。映画を観た直後の私は、友人たちにこんな風に話しました。

「人間は本質的に心優しい動物なのだと思わせてくれる映画でした。どの場面も説得力がありましたが、病室でのオレンジジュースの場面、広告屋が予備を作っていた場面は泣けました。どうぞ、劇場でご覧下さい」と・・・。

とても満足して映画館を出たのですが、帰宅後「パンフレット」を熟読して少々落ち込んでいます。ディクソン警官によって2階にある広告会社の窓から放り出された社主レッドが読んでいたペーパーバックが、南部人女性作家、アイルランド系のフラナリー・オコーナーの小説『善人はなかなかいない』(A GOOD MAN IS HARD TO FIND)だったらしいのです。小道具は見逃せません。この映画の見方が変わってくる原因となります。

2階から落とされたレッドが、病院の同室にミルドレッドの放火による火災で、やけどして入院してきた包帯だらけのディクソンに、彼とは知らず「オレンジジュース飲む?」と聞く場面に、私は期待をかけたいと思っています。「人間は本質的に心優しい動物なのだ」という私の当初の感想を、大事にしたいと思わずにいられません。皆さんもどうぞ劇場へ足を運んで、ご自分の結論を出してみてください。

さて、ミズーリ州のフィクションの世界から、さらに北へ進んだミシガン州デトロイトで起こった実話へ向かいましょう。

1967年夏のことを、後にアメリカ史では「長く暑い夏」(Long Hot Summer)と呼びますが、全米各都市で、黒人の不満が「暴動」という形となりました。デトロイトで三日間続いた最後の夜に起こった「事件」をドキュメンタリー映画のように描いた、キャスリン・ビグロー監督作品です。映画紹介のネット情報の一部をコピペしてみます。

「権力や社会に対する黒人たちの不満が噴出し、暴動が発生。3日目の夜、若い黒人客たちでにぎわうアルジェ・モーテルの一室から銃声が響く。デトロイト市警やミシガン州警察、ミシガン陸軍州兵、地元の警備隊たちが、ピストルの捜索、押収のためモーテルに押しかけ、数人の白人警官が捜査手順を無視し、宿泊客たちを脅迫。誰彼構わずに自白を強要する不当な強制尋問を展開していく」という話です。

戦時下のイラク・バグダッドで爆発物処理に従事する特殊部隊EODの活躍を描いた「ハート・ロッカー」(The Hurt Locker:2008 ※「ハート・ロッカー」はスラングで「棺桶」の意味)や、2011年5月2日に実行された国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン捕縛・暗殺作戦を描いた「ゼロ・ダーク・サーティ」(Zero Dark Thirty:2012)を監督し、女性で最初のアカデミー監督賞を受賞したビグロー監督です。『ターミネーター』や『タイタニック』を監督したジェームズ・キャメロンの3番目の妻でもありました。私個人としては、冷戦下の1961年、偵察任務のため出航したソ連の原子力潜水艦K-19で起きた放射能漏洩事故を描いた「K-19」(K-19: The Widowmaker:2002)が好きです。(歴史入門のテキスト『スクリーンに投影されるアメリカ』pp.53-54)

ビグロー監督が、映画『デトロイト』で選んだ俳優たちの多くはイギリス人俳優でした。これまで黒人史研究者の視点から、公民権運動期を描いた映画の数々を観てきた私としては、なんとなく違和感を感ぜずにはいられませんでした。ミシガン州は五大湖周辺州ですから、南部の定義から遥かに外れます。白人の描き方は南部白人とは異なるので、そのために感じる違和感なのか、イギリス人が演じるアメリカ白人の描き方にもつ違和感なのか、クエスチョンマークが一杯のまま劇場を出ました。

この映画を観る方たちには、警察官に強制尋問され続けるという極限に追いやられた人間がどのような対応をするのか、1967年、つまり全米公開から丁度50年前の事件が、少しも「昔話」になっていない現実を考えてほしいと思います。

前者の映画紹介で触れた「ファーガソン事件」は、全米各地で起こりうること、キング牧師のI have a dream.スピーチの中でも言及された「警察官の暴力」(police brutality)が、裁判になっても「無罪」(Not guilty)になる現実をどう受け止めるのか、「考える種」が沢山蒔かれている映画です。

「デトロイト」と「スリー・ビルボード」を観るために、どうぞ劇場へお出かけください。見終わった後、「ああ、楽しかった!」と言えるハッピーエンディングのハリウッド映画(cf.連載コラム第5回「ラ・ラ・ランド」)ではありませんが、あなたに考える時間をくれる映画であることは間違いありません。今年は寒い冬となっていますが、そんな冬こそ考える時間を持てますように!


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