岩本裕子研究室

PROFESSOR HIROKO IWAMOTO'S OFFICE

【#11】舞台『The Terms of My Surrender(「私の降伏条件」)』遅くなったけど、まだ話していい?つきあってくれる?

Posted on 8月 27, 2017

今回のアメリカ出張では、私が首都D.C.にいる間は、ホワイトハウスの「主」はニュージャージー州に持つゴルフ場で夏休み中で、ホワイトハウスを留守にしていました。そのためか、従来通りのDCのような気持ちで、私は心なしか快適な時間を過ごすことができました。ところが、ニューヨークへ移動した途端、「主」もマンハッタン五番街の自宅(トランプタワー)に帰ってきて、私の気持ちは不愉快になってきました。

1月20日の大統領就任以来初めての「帰郷」だそうで、ニューヨーカーの友人は、「いい迷惑よね!五番街は交通規制されるし、警護にどれだけ税金を使うと思ってるのかしら!」と怒っていました。この友人はイタリア系アメリカ人で、カトリック教徒として生まれたのですが、ユダヤ人の夫とともに宗教には全く無頓着で暮らしています。いつも手作りのおごちそうで迎えてくれますが、食事の前の祈り(grace)をしたことはありません。彼女は長く民主党支持で、昨年は当然のようにヒラリーを支持していました。

五番街に物見遊山に行くつもりは全くなかった私も、8月15日(聖マリア被昇天祭:これも前回の復習です!)のために聖パトリック教会を訪問したあと、仕事場のハーレムに向かう前に、五番街を数ブロック北上してみました。なんと複数ブロック閉鎖されてトランプタワーに近づくこともできませんでした!沢山のメディアの人たちだけが近くでの撮影を許されていただけでした。

「The Terms of My Surrender(「私の降伏条件」)」の内容は毎日変わっているらしく、私が見た日には15日のショー終了後に観客と連れだってトランプ氏が前日に到着したトランプ・タワーへ抗議デモに出かけたことについて話していました。この事実をニュースでも聞いたことが、今回私がショーを見に行く直接のきっかけとなりました。

北朝鮮に関する大統領の発言(アメリカでの報道は”FIRE AND FURY”:ヒロシマに原爆投下直後にトルーマン大統領が出した声明を連想させる表現)や、ヴァジニア州シャーロッツビルの事件のことについても、当然ムーア監督は言及していました。今回紙幅がなくて紹介しきれないのは残念です。

ドナルド・トランプ大統領に関して、今年3月に出版された『アメリカ大統領物語 増補新版』(新書館)において、私も紹介文をかきました。どこかの本屋さんで見つけたら立ち読みしてください。

私の写真はベラスコ劇場の前で写したものですが、この劇場には、トランプ大統領が観覧するための貴賓席(星条旗で飾られている)が準備されていて、「いつでもただで座れるんだよ」と紹介していました。ワシントンにあるフォード劇場では、150年以上経った今も、暗殺直前にリンカン大統領夫妻が座った席には星条旗が飾られていますが、ついあの劇場を思い出してしまいました。

舞台では2016年大統領選挙の「総括」がなされ、選挙人数で負けただけで得票数ではヒラリーが勝っていたこと、これまでの大統領選挙では1988年の選挙だけ民主党は実質的な敗北をしただけで、得票数ではいつも共和党を優っていたことを強調していました。当然ながら、ムーア監督は民主党支持者で、今回もヒラリーを応援していたのです。

話は次期大統領選挙に移っていき、2020年大統領選挙(下二桁が4の倍数。オリンピックの年)ではどうしても民主党が政権奪還をしなければ!という話で、「次の候補はトム・ハンクス?オプラ?それともミッシェル?」と言ったのです。最後の候補者に、観客は大はしゃぎ!もちろん私が一番喜びました!何しろミシェル・オバマに関して、2013 年時点で拙著『物語 アメリカ黒人女性史(1619-2013)-絶望から希望へ』(明石書店)に書いたこと(近々の大統領選挙候補として登場するかもしれない、シカゴ市民はそれを期待している)がひょっとして実現するのかも、とうれしく思ったものです。

「最終日までに10万人がショーを観る。それぞれがここでの私の話を10人に伝えると、ショーを通じて100万人にリーチしたことになる」とムーア監督は語ったそうですが、こうして私も10人以上の人たちに伝えています。どうか、みなさんもこのコラムで読んだことを誰かに伝えてください。「語り継ぐ」ことは、何かを知った人の義務だと私は思います。

このままではいけない、何かしなければ、と思うとき、一番簡単にすぐにできることは、近くにいる人に語ることだと、私は思っています。このコラムを書き続ける理由もそのためだと自覚しています。

「毎晩舞台が終わるとき、魂が少し癒され、絶望が減るような気がして、問題を解決できると少し前向きになる」とムーア監督は話したと、ネット情報で知りました。彼が2時間半の舞台(夜8時開演で、10時を過ぎた頃「もう遅くなったけど、まだ話していい?つきあってくれる?」と観客に問いかけ、みんな大拍手!)で語ったこと、最後のアンコール場面で、軽やかに歌いながらダンスをしていたのは、きっと会場に集った我々観客からの同調する反応で、絶望を少し減らすことができたのだろう、と思いました。

8月17日夜の観客の政治意識はすこぶる高く、ムーア監督の一言一言に、本当に誠実に反応していました。もちろん私も、怒りに賛同したときには、大いに拍手をしましたし、アンコールではスタンディングオベーションで賛辞を伝えました。

日米問わず、絶望的な政治状況の中でも、民衆は怒って立ち上がることを忘れていないことを自覚して、勇気をもらった夜でもありました。

次回は、少し違った視点でのアメリカ報告を致します。ではまた、近々!