【#10】『沈黙-サイレンス-』:「主よ、あなたはなぜ黙ったままなのですか」
Posted on 7月 31, 2017
1.フランシスコ・ザビエルとイエズス会
『沈黙』の話をした時、学生たちの反応でよく知る宣教師として、ザビエルの名前が挙がりました。「イエズス(イエスのこと)会」の名前も、覚えている学生が多くいました。ザビエルのファーストネームは、フランシスコ(2番参照)です。
1517年(今年は500周年!)、ドイツ人神父マルチン・ルターは、ローマ教会に抗議して95ヶ条の論題を出し、これが宗教改革の始まりとされました。この宗教改革によって、プロテスタントが広まっていくのを阻止するために、イエズス会は結成されました。イエズス会員はカトリック教徒として「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれ、カトリック修道士としてローマ教皇を守り、キリスト教の伝道のために全世界に繰り出して行ったのです。
そもそもの出発は、1534年8月15日(聖母マリア昇天祭)にパリのモンマルトルの丘(現在のサクレ・クール聖堂)で「誓い」を立てるために、パリ大学の学友7人が集まったことでした。その一人がザビエルで、彼が鹿児島に入ったのは、この「誓い」から丁度15年目の同じ日、1549年8月15日でした。
2番で紹介するフランシス教皇は、イエズス会の出身で、イエズス会から教皇が出たのは、彼が最初だそうです。
2.フランシス教皇とアッシジのフランチェスコ
長崎の「潜伏キリシタン」を高く評価したのは、カトリックの総本山、バチカン市国の長である教皇だとお話ししました。2013年に第266代教皇となったのは、ブエノスアイレス大司教のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿でした。西半球、南米から初めて選ばれた教皇です。中南米は現在、欧州以上にカトリック教徒の多い地域ですから、当然の選択だったかもしれません。彼が教皇名に選んだのは、アッシジのフランチェスコの名をとって「フランシス(コ)」でした。
アッシジのフランチェスコとは、中世(13世紀)イタリアの聖人でもっとも有名と言ってもいい聖フランチェスコのことで、フランシスコ会(フランチェスコ会)の創設者として知られるカトリック修道士です。「清貧の理想」をもって伝道し、「人間にとって本当に必要なものは愛と平和だけであり、それ以外のものはすべて不要」と主張した聖人でした。2013年に新しい教皇の名前が決まった時、私はまずこの聖人を思い出し、世界を平和にする活動に期待したいと思ったものです。
蛇足をさらに二つ。教皇は終身の役職ですが、前任者ベネディクト16世は、719年ぶりに自らの意思で「生前退位」をして、名誉教皇となりました。日本でも天皇陛下の生前退位が近づきますね。平成時代の終わりも近いです。
ちなみに、初代教皇は誰かわかりますか?バチカン市国にあるサン・ピエトロ大聖堂は、イエスの弟子の一人ペトロ(ピエトロ)が、ローマ皇帝だった暴君ネロによって処刑されることになり、十字架ではイエスに申し訳ないと、逆さ十字架にかけられた場所に立っています。このペトロが初代教皇とされることが多く、彼はイエスから「天国の門の鍵」を託され、代々の教皇に受け継がれているのです。
次回、第11回目の映画紹介のテーマを何にするのか、まだ決めていません。毎年8月に行くことを決めてはや5年目、今年もニューヨークで仕事(2013年9月HP拙稿)をしてきます。その前にワシントンD.C.に入り、新装なった「国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館」を、友人ジャネット(ハワード大学文書館の元司書)の案内で見学する予定です。次回は、旅便りのような内容にしようと思います。夏休みが終わる前にはアップできるように頑張ります!みなさんも、充実した夏をお過ごし下さい。