こども学部・教員の活動「ミシェル・オバマ初来日」について(岩本 裕子・いわもと ひろこ)
Posted on 4月 10, 2015
浦和大学、浦和大学短期大学部新入生の皆さんには、入学おめでとうございます。2年生以上の在校生の皆さん、進級おめでとう!新しい1年が、知にあふれた学びの年となりますように!
皆さんが春休み中だった先月(2015年3月18日)に、アメリカ合衆国から「お客様」が日本を訪問されたというニュースを聞きましたか?ミシェル・オバマ大統領夫人(英語では「ファーストレディ:First Lady」と呼びます)が三日間来日なさったのです。2014年4月にバラク・オバマ大統領が「国賓」として訪日したときには、夫人は娘の学校行事を理由に同行しませんでしたので、今回が初来日となりました。
ミシェル夫人の今回訪問の目的は、女子教育の重要性を訴えることや、合衆国政府系のボランティア組織「ピースコー:Peace Corps(平和部隊)」と日本の青年海外協力隊の連携を通じて、日米の協力強化を促すことでした。
平和部隊は1961年、ケネディ大統領によって提唱された組織で、開発途上国へ隊員を派遣して、開発援助することを目的としています。現在まで多くのアメリカの若者たちが、世界の平和のために世界各地の開発途上国で積極的な活動を続けています。
ミシェル夫人は3月18日から二日間東京に滞在して、20日に京都を訪問した後、同じ目的でカンボジアを訪問されました。世界各地で女子教育への支援を拡大することが、ファーストレディ、ミシェル夫人の大きな「使命」でもあるのです。それだけ世界各地では、教育の機会に恵まれない女子が多いと言うことです。女子教育を訴えたために、過激派組織に襲撃されたパキスタンの少女、マララ・ユスフザイさんのことを知っていることでしょう。ノーベル平和賞最年少受賞者ともなりましたね。
今回のミシェル夫人の初来日を、テレビ朝日の番組「報道ステーションSUNDAY」が特集して3月22日朝(4月以降は夕方放送に変更)放送しました。その特集放送前日に、私は20分ほど取材を受け、収録されました。そのほんの一部、1分足らずが特集最後の部分で使われましたので、その顛末をお話しします。
取材依頼がきた理由は、私の著作に2010年に出版した『語り継ぐ黒人女性-ミシェル・オバマからビヨンセまで』(メタ・ブレーン)があったためです。3年後に出版した『物語 アメリカ黒人女性史(1619-2013)-絶望から希望へ』(明石書店)では、ミシェル夫人の展望を描くことで「物語」の結語としたのでした。
2009年1月以来ファーストレディとして、アメリカ大統領一家の住まい「ホワイトハウス」の女主人となったミシェル・ラボーン・ロビンソン・オバマは、「奴隷の子孫」です。黒人で初めてのアメリカ大統領と騒がれたバラク・オバマは、アメリカ白人の母親とケニア人(アフリカ黒人)の父親を両親に持ち、人種的には黒人ですが、アメリカ黒人の血縁はないのです。ただ、この夫妻の娘たち2人は、母親の血を受けますので、「奴隷の子孫」ということになります。
現在アメリカ合衆国と呼ばれる国になる前は、イギリスの植民地でした。最初の植民地であったジェームズタウン(英国王ジェームズの名前から)に、アフリカから初めて20人のアフリカ黒人が奴隷船で運ばれてきました。1619年のことです。この20人の中に3人のアフリカ女性が含まれていました。彼女たちが、ミシェルに至るアメリカ黒人女性(African American woman)の「はじめて」となります。先程紹介した私の本『物語 アメリカ黒人女性史(1619-2013)-絶望から希望へ』の年代の最初の年とした理由です。
テレビ朝日での20分間受けた取材の内容をお話しする時間がなくなってしまいましたので、続きは次回として、テレビ放送された1分弱の部分を動画で見て、聞いていただきたいと思います。
皆さんが好きだと思われる、黒人音楽ヒップホップ(Hip Hop) の源流は、アメリカ黒人史初年1619年までさかのぼることを、こども学部「歴史入門」や「アメリカの生活と文化」で講義しています。学生たちには、講義で続きを話します。高校生の方たちには、ぜひ浦和大学に入学していただき、「続き」を聞いていただけますように!
どうか、実り多い2015年度をお過ごし下さい。「コツコツ努力すれば」必ず目標を達成でき、沢山の目標を1つ1つ超えていかれれば、「夢」にたどり着くことができます。夢は「遠い未来」にあるのではなく、小さな目標の積み重ねで、「近い将来」の現実となっていきます。
夢を叶えるために、毎日毎日のコツコツとした歩みを続けていられるような2015年度となりますように!Bon Voyage!
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