岩本裕子研究室

PROFESSOR HIROKO IWAMOTO'S OFFICE

【#09】『沈黙』と『ハクソー・リッジ』:まずは選挙に行きましょう!

Posted on 6月 30, 2017

 さてやっと『沈黙』について話します。前述のような学生ばかりだと、余分な説明はいらないのでしょうが、ゼミ生を初めとする私の授業を受けている学生たちに「映画『沈黙』は観た?小説『沈黙』を読んだことある?」と聞き続けていますが、反応は鈍くて残念に思っていました。だからこそ、Kさんのエピソードはこの上ない喜びでした。

 日本人作家、遠藤周作による小説『沈黙』(1966年出版)を、1988年に初めて読んで衝撃を受けたマーティン・スコセッシ監督は映画化を決意し、15年以上かけて脚本を書き上げ、28年目に映画化を実現したのでした。

 イタリア系アメリカ人で敬虔なカトリック教徒のスコセッシ監督は、元々神父になりたくて神学校に進学しましたが、結局中退してニューヨーク大学映画学科に方向転換して、今に至っています。映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』(Gang of New York:2002)で、カトリック教徒である自分自身のルーツを探っています。(歴史入門テキスト『スクリーンに投影されるアメリカ』pp.114-119)

 映画『沈黙』では、1640年に日本で布教活動をしていたイエズス会宣教師フェレイラが激しいキリシタン弾圧に屈して「棄教」(信仰を捨てること)したことを知った、フェレイラ神父の弟子、セバスチャン・ロドリゴ神父がその真偽を確かめるために日本にやってくる場面から始まります。

 多くの日本人は、宗教や信仰に対して間違った印象を持ち、なるべく関係したくないという態度を取ります。信仰を強制されるのではなく、信仰を学習することで、世界で起こっていること(シリア内戦やISからヨーロッパへの移民など)を考えるきっかけにしようとしないことは残念です。

 大学生の年齢であっても、非常に不寛容で、知らないことを知ることが教養を身につける第一歩にもかかわらず、宗教を学ぶことを避けようとします。日本人が世界で生きていくためには、宗教(特に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という同じ唯一神を信じる兄弟宗教のこと)を学ぶ必要があるのに、それに気付いていないことも残念です。歴史を学ぶとは、考えることを意味します。ところが歴史を勉強することは暗記すること、試験のためだけに暗記すればいいのだと思い込んでいること、これからの日本を担う次世代がこんな状況であることは憂うべきことです。

 日常生活で、宗教とはほとんど無縁で生きている人たちには、映画『沈黙』を観て、「神を信じる」ことの意味、キリスト教徒たちの「想い」を知ってほしいと思います。1549年8月15日(聖母マリア昇天祭)、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に入ってから468年目の今年、キリスト教のことを考える時間を作ってほしいと思います。長崎の人たちが、守り続けた「信仰」についても、学ぶ機会になりますように!