2024年浦和大学図書・情報センター「第13回読書感想文コンクール」最優秀賞「序章の見方が変わった三国志」現代社会学科 3年 山本 拓海
その他
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渡邊義浩. 三国志:演義から正史、そして史実へ. 東京, 中央公論新社, 2011年, 248ページ.
国志への印象がいい方向へ変化した。渡邊義浩著作の『三国志 演義から正史、そして史実へ』を読み通して私はそう思えたのである。中学生の頃に興味をもち何度も繰り返し読んでいた三国志であったが、基本は魏呉蜀に分かれたストーリーが好きで序盤の後漢時代にはそこまで思い入れがなかった。しかし、この著書内の後漢時代での人物や出来事の見え方や演義や史書では記し方や意訳の違いによる価値観の考え方に驚きを覚えたのである。
特に私が目を引いた項目は魏呉蜀へ明確に分かれる前の後漢の時代の出来事である。それは皇帝を擁立して権力を掌握した董卓と四世三公と称えられていた袁紹であった。董卓の記述では善人な側面で書かれていたことに驚きを覚えた。なんと、三国志では董卓を新たな時代の創設者として残忍な性格を隠して名士を抜擢していたと書かれていたのである。董卓は三国志演義内にて随一の暴君と書かれており、気に入らない者や反発するものを殺すことや少帝を廃して献帝を立てて独裁者となるなど横暴な性格が全面的に表れている。そのような記述を読むまで、私は董卓自身が支配しやすいような政権を行っているだけのうつけ武将だと認識していたが、見方を変えれば古い慣習や価値観を変化させ新しい時代につなげようとしていたということとなる。この考え方は私の中での董卓の見方が変わり、時代の変化への挑戦者であったという側面が追加されたのである。
袁紹の記述では、プラスな言葉での説明とマイナスな言葉での説明では人物の印象が百八十度変化してしまう表現の恐ろしさを目の当たりにしたのである。袁紹は名門の家柄出身であり、他の武将の意見を尊重して多くの名士を配下に集めた武将である。そんな袁紹の人柄について、勝者側である曹操の記録では唯才主義の人事を行わず、決断力に欠け議論ばかり好む能無しを集めたと記載されていた。しかし、敗者側の歴史を見ると名士の意向を尊重する人事を行い、名士の意見を広く聞き、彼らの名声を尊重したと書かれている。この文章の違いから、表現する者や記録した者の見方によって歴史上の人物の価値を簡単に変えられてしまうことを実感したのである。
後漢時代の出来事は、三国志の主人公である劉備や曹操、孫権といった英雄たちが主軸になっているわけではないため董卓や袁紹などの序盤にすぐに物語から退場してしまう人物は一方的な印象が植え付けられて物語を進んでしまう。しかし、そのような人物を一人一人丁寧に分析することで武将への価値観は上がるものであり、三国志をより楽しむことができるようになったと感じたのである。