【第10回読書感想文コンクール】最優秀賞「“いやな時代”を力強く生きてゆくティーンたち」(重松清『エイジ』朝日新聞社、1999年)』

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2021年11月8日
社会学部総合福祉学科1年 高橋 若樹
  • 暗い夜道を歩いていたあなたは、運の悪いことに鈍器を構えた通り魔に襲われてしまいました。さて、あなたにとっての憎き犯罪者に一体どのような真っ当な事情があれば、その不運な出来事にもしぶしぶ納得することができようか。責任能力に乏しい中学生ならば許すしかない? 悪意のはびこるいやな時代だから仕方がない? では次に、主語を「あなた」から「あなたのよく知る人」に変え、またその上で立場を「被害者」から「加害者」に転換してみて頂きたい。要するに、あなたの身近な誰かが卑劣な罪を犯してしまったのだ。実際、そのような突拍子のない状況をイメージするのはあるいは困難かもしれない。しかし本書では、主人公エイジがそんな「他人事」を自分自身の問題として理解するに至るまでの過程が極めてリアルに描写されている。

    本書の登場人物たちの真に迫る心情描写は実に情緒的で、ある種の躍動感さえ覚えるほど、彼らが各々の持論を語るその姿は生き生きとしている。否、中学二年生とは案の定、思春期特有のアイデンティティの揺らぎが著しいものである。それゆえ、互いに敏感に作用し合うその流動的な構図こそがこの作品全体の痛々しいほどのリアリティを助長しているともいえよう。

    『通り魔は、どうして見ず知らずの通行人を殴るんだろう。むかつく奴を殴ればいいのに。』

    地元の住民の生活を脅かす通り魔犯。エイジにはその事件そのものがどこか嘘くさい、まるで単なるテレビのサスペンスドラマのように映っていた。しかし、ついに捕まった犯人は中学生で、奇しくも彼はエイジの同級生だった。連続通り魔事件は突如として他人事ではなくなり、その途端にエイジを取り巻く環境は大きく一変してしまうのだ。

    先も述べた通り、本書におけるキャラクターはまさに「生きた」ティーンたちである。

    “キレてしまった”彼に想いを馳せる主人公。勿論、変わってしまったのは彼だけではない。ある時を境に被害者の苦しみに酷く共鳴し始める者。一方でそれを皮肉るかのように、悪意を恐れるあまりその必然性すらも否認する同級生らの多いことに辟易の意を漏らす者もいた。複数の価値観がせめぎ合う果てに、やがてエイジは全てのしがらみから“キレて”しまう。その頃には既に自分もあの通り魔と同様に「その気」を隠し持っていることを確信していた。その象徴である「幻のナイフ」を手に渋谷の人ごみに揉まれにいった彼の胸中には一体、どんな葛藤があったのか。それは実際に『エイジ』を手に取ることで確かめて頂きたいところである。

    本書を既に読んだ人も、まだの人も。また、あの頃が楽しかったと言い切る人も、いやむしろ、そうは思わないという人にこそ、私はこの本を薦めたい。ぜひ今一度、あなたにとっての中学校とは何だったのか、そんなあなただけの中学生“時代”を思い返しながら、エイジたちの青春をじっくりと追体験してみてはいかがだろうか。