【2012年度 第2回読書感想文コンクール】最優秀賞『命ある限り』を読んで

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2012年10月29日
『命ある限り』を読んで
短期大学部介護福祉科2年 根本貴子
  • 高齢者施設の実習に行くと、利用者は、実に生き生きとしている。半身に麻痺があっても、拘縮が強く、手足が固まっていても、認知症でも、人間性が際だっている。かすれた声で思い出話を語り、手を合わせることで感謝を伝え、高齢者同士喧嘩をしたり、仲良く助け合ったり、日々を暮らしている。そのような利用者にも看取り介護やホスピス、やがては死が訪れるのだ。

    介護を志す学生の知るべき人物としてキュープラー・ロスがいる。彼女の本には、様々な死の様子の描写があり、瘴気が本から立ち昇るように感じられて、本を手にすることをためらっていた。しかし、この本は、文章と写真が同等に存在し、むしろ死にゆく人の写真は、文章より鮮明に彼らを語っている。元モデルの癌患者の、大きな目は我々に何を訴えているのか。絶望、苦しみ、安息への願い。マニュキアを施した筋張った手のみの写真は、生を掴み取ろうとしているのか。彼女の日記に書いてあった詩がある。

    もし人生がこんなだったら・・・
    「一人でお出かけなさい。あるいはお友達とでも」「そんなことは馬鹿げている。きみのいない人生なんてどんなにか空しいだろう。だからきみの全てで僕を満たしたいのだ。そうすればきみは僕の中で永遠に生き続けるだろう

    彼女は言ってほしい言葉を、もし人生がこんなだったら・・と詩で書き続けている。人生の終わりにこのような言葉をかけてほしいとだれでも共感するだろう。

    死は幼い子供にも訪れる。死とは恐れるものではなく、終結ではない。子供とは切り離されたのではなく、子供は常にともにいる。思い出とともに子供は美しい贈り物である。と母親は述べている。写真では、その子供は母親の微笑みに包まれ、胸に抱かれて死んでいった。点滴や心電図にはつながれていない。

    死は高齢者のみでなく、若者にも、金持ちにも、政治家、美人やスポーツ選手にも訪れる。死は我々の周りに、常に存在している。死は恐れることではなく、忌むことでもない。死にゆく人を特別扱いする必要はない。だから死に近い人とも、友人として傍にいよう、死への心構えができるように手助けしよう。とキュープラー・ロスは言っているのだと思う。

    死は人生の一部であり、死を意識することで自分や周囲の人の人生を大切にし、優しさと、いたわりに満ちたものにしたい。

    (図書・情報センターにて書式を一部修正)